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朝ドラ「エール」山藤太郎(柿澤勇人)役の実在のモデル 歌手・藤山一郎とは?名曲をキムタクがカバー?あの曲の作曲も?【ネタバレ】

 

 

 

朝ドラ「エール」2020年5月18日の放送で柿澤勇人さん演じる歌手・山藤太郎(やまふじたろう)が登場しました。そこでドラマの山藤太郎のモデルとなった歌手・藤山一郎についてザックリまとめてみました。

画像引用元:https://www.nhk.or.jp/yell/story/week_08.html

 

【ネタバレ注意】藤山一郎について知ってしまうとドラマのネタバレになってしまうかもしれませんのご注意ください!

 

山藤太郎(柿澤勇人)


画像引用元:https://www.nhk.or.jp/yell/cast/yamafuji.htm

https://www.nishinippon.co.jp/image/513/

コロンブスレコードの歌手。慶応義塾大学卒業後、音楽学校の声楽科で学ぶ。金を稼ぐため流行歌を歌っている。

 

 

 

◆藤山一郎ってどんな人?

画像引用元:https://columbia.jp/artist-info/fujiyama/prof.html

柿澤勇人さん演じる山藤太郎のモデルになった藤山一郎は1911年4月8日生まれ、東京・日本橋出身の歌手です。生家は裕福な呉服問屋で、慶應幼稚舎入舎前から親戚の作曲家・山田源一郎が創立した日本女子音楽学校で音楽を学び、幼少期は童謡歌手として活躍。慶應大学卒業後はオペラ歌手を目指して、東京音楽大学声楽科(東京藝術大学音楽学部)に進学。在学中に古賀政男作曲の「酒は涙か溜息か」「丘を越えて」「影を慕いて」などを歌ったレコードが大ヒットしました。

 

藤山一郎「丘を越えて」

作詞:島田芳文 作曲:古賀政男


丘を越えて 藤山一郎

 

 

 

◆藤山一郎は偽名の覆面歌手だった!?

「エール」の中で山藤太郎は家の事情でお金が必要で偽名を使って歌手をしていますが、このエピソードは藤山一郎の実話です。藤山一郎が在籍していた東京音楽学校の校則で歌唱のアルバイトが禁止されていたため、本名の増永丈夫ではなく、藤山一郎という芸名を使っていたそうです。しかし、「酒は涙か溜息か」「丘を越えて」などの大ヒット曲が出てしまい、藤山一郎が東京音楽学校声楽科の学生であることが発覚し、卒業までレコード歌手の仕事ができなくなってしまったそうです。

大学卒業後はビクターに入社し、専属レコード歌手として「燃える御神火」「僕の青春」がヒット。1936年には古賀政男の所属していたテイチクに移籍し、古賀とのコンビで「東京ラプソディ」「男の純情」などのヒット曲を出した。1939年には古賀政男とともにコロムビアに移籍し、古賀政男 作曲の「上海夜曲」や服部良一 作曲の「懐かしのボレロ」をヒットさせました。

 

◆太平洋戦争で慰問団に参加、インドネシアで捕虜に!

太平洋戦争が開戦すると、1943年から藤山一郎は各地で戦う日本軍の兵士たちに娯楽を提供する慰問団に参加し、当時、日本が占領していたボルネオ島(インドネシア)など周辺の島々を訪れるますが、ジャワ島の慰問中に終戦を迎え、独立宣言をしたインドネシアの捕虜となり、1946年7月の帰国までをインドネシアで過ごしました。

帰国後、すぐに歌手活動を再開し、1949年には裕一(窪田正孝)のモデル古関裕而 作曲の「長崎の鐘」や奈良光枝とデュエットで歌った服部良一 作曲の「青い山脈」が大ヒット。1972年から1979年まで日本歌手協会の会長を務める歌手の地位の向上に務めました。1992年5月に国民栄誉賞を受賞。1993年8月急性心不全のため死去。享年82才でした。

 

「長崎の鐘」

 作詞:サトウハチロー 作曲:古関裕而


XAA494 長崎の鐘② 藤山一郎 (1949)1985・180504 Ver5 HD

 

「青い山脈」

 作詞:西條八十 作曲:服部良一


XAA495 青い山脈③(劇中歌) 藤山一郎&奈良光枝 (1949)1949・190201 vL HD

 

 

◆藤山一郎の名曲「丘を越えて」をキムタクがカバー!

「丘を越えて」は1931年発売で約90年前の曲ですが、幅広い世代の方が耳にしたことがあるのではないかと思います。最近では懐メロ系の歌番組が少なくなりましたが、トヨタが1984年にトヨタ・スターレットのCMに、2015年にはカローラフィールダーのCMに使用していて、いつの間にか歌声が耳に残っているという方も多いかもしれません。しかも2015年のCMでは木村拓哉さんをはじめ豪華なアーティストがカバーに参加しています。

 

木村拓哉「丘を越えて」

作詞:島田芳文 作曲:古賀政男


TOYOTA COROLLA FIELDER 「丘を越えて」篇/「丘を越えて モダン」篇 - 木村拓哉 他 - ♪ 「丘を越えて」(60+30sec)

 

 

 

【小ネタ1】紅白歌合戦に42年間で43回出演!

藤山一郎は1951年の「第1回NHK紅白歌合戦」に白組キャプテンとして出場し、「長崎の鐘」で大トリを務めています。「NHK紅白歌合戦」には歌手として、エンディングの「蛍の光」の指揮者として1951年の第1回から1992年の第43回まで毎回出演しています。

ちなみに藤山一郎が「紅白歌合戦」に42年間で43回出場しているのは「紅白歌合戦」が1951年から1953年までは正月番組として放送されていて、1953年の年末から大みそかの番組となったため、1953年は「紅白歌合戦」が正月と大みそかの2回放送されたため年数と回数が合わなくなっています。

 

 

【小ネタ2】誰もが知ってるあの曲の作曲は藤山一郎!?

国民栄誉賞を受賞するほどの国民的な歌手・藤山一郎ですが、誰もが知ってる あの曲の作曲者でもあります。その曲とは…「ラジオ体操の歌」です!

子供の頃、夏休みにラジオ体操に行くと体操の前に流れる歌を、眠い目をこすりながら歌っていた人も多いのではないでしょうか?あの歌の作曲者が藤山一郎なのです。藤山一郎は1954年からコロムビアの専属歌手をやめ、NHKの嘱託職員になっていて、1956年に「ラジオ体操」の作曲も担当。現在も早朝のラジオ体操では、この曲が放送されています。


藤山一郎 ラジオ体操の歌

 

 

【最後に…】

藤山一郎は当初、古賀政男とコンビでヒット曲を連発しますが、のちに古関裕而作曲の戦時歌謡や戦後は「長崎の鐘」でコンビを組むことになります。そのうち「エール」でも山藤太郎と裕一(窪田正孝)のコンビを観ることができるかもしれません。劇団四季出身の柿澤勇人さんの歌唱シーンも楽しみですね!

 

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