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朝ドラ エール 野田洋次郎 = 木枯正人(こがらしまさと)役 実在 モデル 古賀政男とは?作曲した名曲は?弟子はあの有名歌手?【ネタバレ】

 

 

 

NHK朝の連続テレビ小説「エール」の第6週(5月4日から放送)の予告に、ついにRADWIMPS野田洋次郎さんが登場しました!そこで、このドラマで野田さんが演じる木枯正人(こがらし まさと)のモデルになった作曲家・古賀政男(こが まさお)とは どんな人だったのか?ザックリとまとめてみました。

 

木枯正人(こがらしまさと)

エール 野田洋次郎

画像引用元:https://thetv.jp/news/detail/225952/1413013/

木枯正人は、コロンブスレコードに主人公・古山裕一(窪田正孝)と同期で採用された作曲家。ギターが得意で、行きつけのカフェで弾き語りを披露したりする。

 

【ネタバレ注意】古賀政男について知ってしまうとドラマのネタバレになってしまうかもしれませんのご注意ください!

 
◆古賀政男ってどんな人?

古賀政男

画像引用元:http://www.koga.or.jp/about/index.html

 

古賀政男は、1904年に福岡県大川市生まれ、明治大学在学中に明治大学マンドリン倶楽部の創設に参加し、在学中から音楽家を志します。

1929年、処女作「影を慕いて」を発表。1931年にコロムビア専属の作曲家となり、半世紀に渡って、いわゆる「古賀メロディー」と呼ばれる名曲を発表し続け、数々のヒット曲を生み出しました。生涯で作曲した曲は5000曲とも言われています。1978年7月に急性心不全により73歳で死去。王貞治さん(巨人、現ソフトバンクホークス会長)についで史上2人目の国民栄誉賞が贈られました。

 


◆ドラマで描かれる?古関裕而との関係は??

古関裕而

古山裕一(窪田正孝)のモデル 作曲家・古関裕而

画像引用元:https://www.kosekiyuji-kinenkan.jp/

 

古賀政男は、1931年、日本コロムビアに作曲家として契約しました。1930年9月にコロムビアの専属作曲家として迎えられた古関裕而とほぼ同期の良き仲間であり、ライバルでもあったようで、お互い励まし合い、切磋琢磨して作曲家としての道を歩んだようです。朝ドラ「エール」では、この時期のエピソードが描かれるのではないかと思います。
作曲家としての古賀政男は東京音楽学校の学生だった藤山一郎と出会ったことで才能を開花。「酒は涙か溜息か」「丘を越えて」「影を慕いて」などの曲がレコードで発売され、以降も数多くのヒット曲を世に送り出していきます。

※2020年5月6日追記

5月6日、朝ドラ「エール」に野田洋次郎さんが登場しました。野田さん演じる木枯正人とコロンブスレコードが契約したため、音(二階堂ふみ)が裕一(窪田正孝)の売り込みに失敗するというくだりがありましたが、実際には古関裕而が古賀政男より先にコロムビアレコードと契約しています。

 

 


◆「悲しい酒」から「東京五輪音頭」まで名曲を作曲!
古賀政男の代表曲と言えば、1964年発表の美空ひばりの「柔」で190万枚を売り上げを記録し、1966年発表の美空ひばりの「悲しい酒」も145万枚を売り上げるミリオンセラーとなりました。三波春夫をはじめとする数多くの歌手が歌った「東京五輪音頭」も古賀政男の代表曲のひとつです。他にも数え上げればきりがないほどのヒット曲を世に送り出しています。

 

美空ひばり「悲しい酒」

作詞:石本美由紀 作曲:古賀政男


悲しい酒 美空ひばり

 

 

 

◆実はあの有名歌手も古賀政男のお弟子さん!?

古賀政男は名曲だけでなく、その指導の下、たくさんの弟子を歌手としてデビューさせています。代表的なお弟子さんを3人ご紹介します。


ラスボス・小林幸子さん

ラスボス 小林幸子

画像引用元:VOCALOID4 Library Sachiko

1964年に古賀政男にスカウトされてデビュー。1979年「おもいで酒」がダブルミリオンを記録する大ヒットとなり、日本レコード大賞最優秀歌唱賞をはじめ数々の音楽賞に輝く。同年にはNHK「紅白歌合戦」に初出場し、以来33回連続出場した。


演歌歌手・大川栄策さん

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画像引用元:https://twitter.com/columbia_label/status/425594738171863041?lang=gl

 

高校を卒業と同時に古賀政男に弟子入り。1969年に日本コロムビアより「目ン無い千鳥」でデビューを果たす。以降、地道に古賀メロディを歌い続ける古賀政男の最後の内弟子。ちなみに180万枚のヒット曲「さざんかの宿」は市川昭介の作曲。

 


歌手・美川憲一さん

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画像引用元:https://www.utabito.jp/news/1766/

古賀政男の指導を受け、1965年に「だけどだけどだけど」で歌手デビュー。1966年の「柳ヶ瀬ブルース」(作詞・作曲 宇佐英雄)は120万枚を売り上げるヒットを記録した。(※日本コロムビアから分離独立した日本クラウンにスカウトされてデビューしたため古賀作品を歌っていないのだとか)

 

他にも、近江俊郎さんやアントニオ古賀さん、鶴岡雅義と東京ロマンチカの鶴岡雅義さんなど、たくさんのお弟子さんを世に送り出しています。

 

 

 

◆日本レコード大賞は古賀政男が自腹で創設!?
古賀政男は、1959年には作曲家の服部良一らとともに日本作曲家協会を創設して初代会長に就任し、アメリカで始まったグラミー賞をモデルに、日本レコード大賞を創設しました。
しかし、ビクター以外のレコード会社からは協力が得られず、審査員として参加を要請した新聞社などのマスコミ各社も参加を留保。テレビ局で協力したのはTBSのみだったそうです。そのため日本レコード大賞の授賞式はTBSで放送されていたのだそうです。開催費用の赤字分は運営委員長だった古賀政男が私費で補てんしたと言われています。

ちなみに第1回日本レコード大賞を受賞したのは、水原弘のデビュー曲「黒い花びら」で、楽曲の斬新さに審査員の好評を得ての受賞だったそうです。作詞は放送作家の永六輔、作曲はジャズ奏者の中村八大。のちに歌謡曲のヒットメーカーとなるコンビですが、「当時はまだ無名の作家作品だった」と永六輔さんが当時を振り返り語っています。受賞曲の「黒い花びら」は100万枚の爆発的ヒットを記録し、受賞曲は売れるとレコード会社各社が積極的に参加するようになったのだそうです。

 

 

【小ネタ】古賀政男と野田洋次郎さんって似てる?
古賀政男というとヒゲの恰幅(かっぷく)のいいオジサンというイメージで「野田洋次郎さんと似てないだろ!」と思ったのですが色々調べているうちに2人の学生の時代の写真が見つかったので比べて見ると…「雰囲気は似てなくもない」ですね。古賀政男って学生の頃は痩せてたみたいですね。

古賀野田学生


【最後に】
日本を代表する作曲家として国民栄誉賞を受賞し、教科書に載る歴史上の人物になった古賀政男ですが、大学時代は明治大学マンドリン倶楽部を創設、作曲家になってからは日本作曲家協会を設立して、音楽界の発展に尽力し、世代を超えた「日本の新しい音楽」作りを目指して「日本レコード大賞」を自腹で創設したりと常に新しいことにチャレンジしています。
ミュージシャンですが、その枠に収まらない活動を続ける野田さんの古賀政男がモデルの木枯正人へのキャスティングはピッタリな気がします。もしかしたら野田洋次郎さんの「前前前世」が古賀政男だったなんてわけないですよね(笑)

野田洋次郎さんがどんな演技を見せてくれるのか?果たして、志村けんさんとの絡みはあるのか?今週も朝ドラ「エール」楽しみですね!

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