朝ドラ「エール」第10週の放送で柴咲コウさん演じる歌手・双浦 環(ふたうら たまき)が裕一(窪田正孝)の「船頭可愛や」を歌いヒットするというストーリーが放送されました。そこで双浦環のモデルになった歌手・三浦環についてザックリまとめてみました。
◆双浦環(柴咲コウ)
画像引用元:https://www.nhk.or.jp/yell/cast/tamaki.html
世界的に活躍するオペラ歌手で、関内音(二階堂ふみ)がプロの歌手を目指すきっかけとなる人物です。子供の頃、裕一と音は教会で環の歌う姿を観ており、裕一にとっても憧れの人でもあります。また音楽学校の講師として大人になり、歌手を目指している音の指導も行っています。
※ちなみに教会でのオペラ「私のお父さん」歌唱は、吹き替えなしで柴咲コウさんご本人が歌っているそうで、昨年7月から歌のレッスンを開始し、声楽の基礎から学んで撮影に臨んだそうです。
【ネタバレ注意】三浦環について知ってしまうとドラマのネタバレになってしまうかもしれませんのご注意ください!
◆双浦環のモデルの歌手・三浦環とはどんな人?
柴咲コウさん演じる双浦環(ふたうらたまき)のモデルになった三浦環は1884年2月22日生まれ。東京府京橋区(現在の東京都中央区京橋)出身の歌手・声楽家です。
幼いころから日本舞踊や長唄を習い、その才能から、1900年には東京女学館時代に音楽教師のすすめで東京音楽大学(現在の東京芸術大学音楽学部)に進学しました。東京音楽大学で声楽を幸田延子とユンケルに習いました。在学中に日本初のオペラ公演で主役を演じています。
三浦環がプロポーズされた有名人は?
環は、学生時代から自転車で登校する姿に見物人が集まるほどの評判の美人で、自著の中で音楽学校のピアノの教師だった瀧廉太郎にプロポーズされたエピソードを語っています。「春のうらららの隅田川~♪」という歌詞でおなじみの「花」や「荒城の月」「箱根八里」の作曲者のあの瀧廉太郎です。
瀧廉太郎
しかし、環は東京音楽学校への入学前に父親の勧めで軍医の藤井善一と結婚していて、しかも校則違反のため、結婚のことを明かすことができず困ったようですが、滝廉太郎がドイツ留学で去って事なきを得たそうです。ちなみに軍医の藤井善一とは1907年に離婚しています。卒業後、環は帝国劇場歌劇部で声楽を指導しながら舞台にも立ち、レコードを出すなど次々と新しいことに挑戦しました。
世界の「蝶々夫人」へ
1913年に環は医師の三浦政太郎と結婚し、翌年、夫とともににドイツに留学しますが、第一次世界大戦が勃発し、戦火を逃れてイギリス・ロンドンに移住します。そこでイギリスの有名な指揮者、サー・ヘンリー・ウッドに認められ、アルバートホールの舞台に立ちました。翌年にはロンドンの名門ロイヤル・オペラ・ハウスでオペラ「蝶々夫人」に主演し、大絶賛を集めました。
しかし、ロンドンがドイツ軍の爆撃を受けるようになり、ニューヨークのメトロポリタン・オペラハウスから誘いを受けてアメリカに渡り、各地で「蝶々夫人」の公演を行いました。その後もロンドン、バルセロナ、ローマなど世界を公演で巡り、ローマではオペラ「蝶々夫人」の作曲者プッチーニが観劇に訪れ「あなたは世界にたった一人しかいない、最も理想的な蝶々さんです」と絶賛、自宅にまで招待されたそうです。
三浦環とプッチーニ
1935年、環は「蝶々夫人」の出演2000回を機に日本へ帰国し、歌舞伎座で日本初となるイタリア語での「マダム・バタフライ」を公演、その後も日本各地でリサイタルやオペラの公演を行いました。1946年に入ると癌が悪化し、5月に逝去。享年62才でした。
◆三浦環と古関裕而&妻・金子との関係は?
朝ドラ「エール」では音楽学校の講師として双浦環(柴咲コウ)が音(二階堂ふみ)を指導していますが、モデルになった三浦環が東京音楽学校の講師・助教授をしていたのは1904年から1913年の間で、音のモデル古関金子は1912年生まれのため、先生と生徒という関係ではなく、金子が環のファンだったそうです。
三浦環が世界で活躍した後、1935年に日本に帰国しますが、コロムビア専属の声楽家だったため古関裕而も帰国を祝うレセプションに出席していたそうです。ちょうど、その年にヒットしていた古関裕而作曲の「船頭可愛や」を三浦環が聞いて「ぜひ私も歌ってレコードに入れたい」と申し出て、古関もレコードの吹き込みに立会いました。
(※ドラマとは違い、実際は音丸が歌った「船頭可愛や」が大ヒットしています)
当時、コロムビアでは世界的に有名な芸術家のレコードのみ青レーベルで発売されていましたが世界的な声楽家である三浦環のレコードはもちろん青レーベルで発売されました。その後、古関裕而は「月のバルカローラ」を作曲して三浦環に贈りましたが、この曲も三浦環が吹き込んでレコードになりました。古関裕而の青レーベルレコードは三浦環が歌った2枚のみですが、コロムビアの芸術家として最高の名誉だったと語っています。
のちにコロムビアから相撲の升席のチケットをもらい、古関夫妻と三浦環とその弟子の4人で相撲観戦した際に少女時代から三浦環のファンであった金子が大喜びしたものの、三浦環師弟の2人が肥っていたため升席が狭く、古関裕而が妻の金子をひざの上に乗せて相撲を観戦したというエピソードが古関の自伝で語られています。
三浦環「船頭可愛や」
作詞:高橋掬太郎 作曲:古関裕而
◆三浦環と山田耕筰との意外な関係とは?
小山田耕三と双浦環。ただならぬオーラを放っています…!
— 連続テレビ小説「エール」 (@asadora_nhk) 2020年6月2日
お2人のスマイルショットも📷✨#朝ドラエール#志村けん#柴咲コウ#3月上旬に撮影 pic.twitter.com/BYN6O02ZQ3
朝ドラ「エール」で柴咲コウさん演じる双浦環が志村けんさん演じる小山田耕三のことを先生と呼んでいましたが、モデルの人物の実際の関係は三浦環が先生で山田耕筰が生徒でした。三浦環は山田耕筰よりも2つ年上で、東京音楽学校(東京芸術大学音楽学部)卒業後、音楽学校の研究科(大学院)に進むと同時に講師として、生徒の指導にあたっていました。その生徒の中に山田耕筰がいたそうです。
三浦環の著書「お蝶夫人」の中には山田耕筰に関する記述もあります。「生徒に山田耕筰さん達がいるのです。山田さんはとても茶目で、男の生徒の餓鬼大将になって、先生の私をとても困らせました」「上野の精養軒のわきの溝の中に、自転車ぐるみ私を落っことして手を叩いて大笑いするんです。憎くらしいのなんのって」と山田耕筰がヤンチャな若者だったことが語られています。
【小ネタ】「エール」のモデルの人物の年齢は?
現在、朝ドラ「エール」で描かれている「船頭可愛や」が発売された1935年7月を基準にした登場人物のモデルの年齢を比較してみました。
(※朝ドラ「エール」では「船頭可愛や」が古山裕一(窪田正孝)の入社2年目のヒット作になっていますが、実際は古関裕而のコロムビア入社5年目の大ヒット作です。)
双浦環(柴咲コウ)のモデル
三浦環(51才) 1884年2月22日生まれ。
画像引用元:https://www.nhk.or.jp/yell/story/week_09.html
↕実際は三浦環が音楽学校の先生で山田耕筰が生徒
小山田耕三(志村けん)のモデル
山田耕筰(49才) 1886年6月9日生まれ。
画像引用元:https://www.nhk.or.jp/yell/cast/oyamada.html
木枯正人(野田洋次郎)のモデル
古賀政男(30才) 1904年11月18日生まれ。
画像引用元:https://www.nhk.or.jp/yell/cast/kogarashi.html
福島三羽ガラス
画像引用元:https://www.nhk.or.jp/yell/story/week_10.html
大将・村野鉄男(中村蒼)のモデル
野村俊夫(30才) 1904年11月21日生まれ。
↕ご近所さんで幼馴染
古山裕一(窪田正孝)のモデル
古関裕而(25才) 1909年8月11日生まれ。
↕伊藤久男のいとこと古関裕而が福島商業の同級生
プリンス・佐藤久志(山崎育三郎)のモデル
伊藤久男(25才) 1910年7月7日生まれ。
↕音楽学校の同窓生
古山音(二階堂ふみ)のモデル
古関金子(23才) 1912年3月6日生まれ。
画像引用元:https://www.nhk.or.jp/yell/cast/oto.html
こうして並べてみるとドラマの双浦環(柴咲コウ)だけ時空を超えちゃってるような気がします。ドラマの登場人物の設定年齢はモデルの人物とは違うとは思いますが、三浦環がモデルの双浦環役の柴咲コウさんが時空を超えた美しさだと思えば納得がいきます。
【最後に…】
双浦環のモデルの歌手・三浦環さんが音楽学校の講師・助教授から「蝶々夫人」で世界のプリマドンナとなりましたが、古関裕而と出会ったのはすでに晩年で、三浦環の生徒が山田耕筰だったという事実は今回、初めて知りました。第一次世界大戦の時代に公演しながら世界中を巡るのがどんなに大変かは今では想像もできませんが、三浦環の人生をたどると芸術家として生きた、かなり規格外の人物だったことがわかります。
朝ドラ「エール」の柴咲コウさんの演じる歌手・双浦環のさらなる活躍に期待しましょう!