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朝ドラ「エール」高梨一太郎 役 ノゾエ征爾さんとは?実在のモデル 作詞家・高橋掬太郎(たかはしきくたろう)とは?名曲は?【ネタバレ】

 

 

 

朝ドラ「エール」第10週で裕一(窪田正孝)の作曲家人生を変える運命の出会いが描かれました。その出会いとは、作曲家仲間の木枯正人(野田洋次郎)から紹介された売れっ子作詞家・高梨一太郎(ノゾエ征爾)との出会いです。高梨の作詞した「船頭可愛いや」の詞に曲をつけて欲しいと依頼され、完成した曲がコロンブスレコードで採用となり、裕一の作曲した2枚目のレコードとして発売されました。

今回は、売れっ子作詞家・高梨一太郎を演じるノゾエ征爾さんのプロフィールと高梨一太郎のモデルになった作詞家・高橋掬太郎(たかはしきくたろう)についてザックリまとめていきます。

 

◆ノゾエ征爾(のぞえせいじ)さんのプロフィール 

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画像引用元:http://www.my-pro.co.jp/aa/nozoe.html

 

ノゾエ征爾さんは1975年7月2日生まれ。岡山県出身の俳優、脚本家、演出家で、劇団「はえぎわ」を主宰しています。

青山学院大学在学中の1995年に演劇を始め、1998年に松尾スズキさんのゼミを経て、演劇ユニット「はえぎわ」をスタート。以降、全公演の作・演出を手がけています。2001年からは「はえぎわ」を劇団化して主宰し、2012年には、はえぎわ公演『○○トアル風景』の脚本で演劇界の芥川賞と言われる「岸田國士戯曲賞」を受賞している演劇界の注目人物です。

 

主な出演作品

【映画】

『1980』(ケラリーノ・サンドロヴィッチ監督)

『SP革命篇』(波多野貴文 監督)

『台風一家』(奥秀太郎 監督)

『at Homeアットホーム』(蝶野博 監督)

『バクマン』(大根仁 監督) …など多数

 

【テレビドラマ】

『アキハバラ@DEEP』(TBS)

『警部補矢部謙三』(テレビ朝日)

『モテキ』(テレビ東京)

『運命の人』(TBS)

『都市伝説の女』(テレビ朝日)

『ゴーイング・マイ・ホーム』(フジテレビ)

土曜ナイトドラマ『東京独身男子』(テレビ朝日)

大河ドラマ『いだてん』(NHK) …など多数

 

※ちなみに『いだてん』でNHKの河西三省アナウンサー役のトータス松本さんと共に、松内則三アナウンサーを演じていたのがノゾエ征爾さんです。

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 画像引用元:https://news.mynavi.jp/article/20190821-880390/

 

【ネタバレ注意】高橋掬太郎について知ってしまうとドラマのネタバレになってしまうかもしれませんのご注意ください!

 

 

 

◆作詞家・高橋掬太郎(たかはし きくたろう)とは? 

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画像引用元:http://www.zaidan-hakodate.com/jimbutsu/04_ta/04-takahashi.html

 

高橋掬太郎は、1901年4月25日生まれ。北海道根室市生まれの作詞家。千島で漁業に従事する父・高橋菊治、母フデの長男として生まれ、菊太郎と命名され、14才の頃から詩を作り始めました。1920年に根室新聞社に入り、社会部の記者になり、この頃より、高橋春波のペンネームで文芸活動を始めています。1922年12月、函館日日新聞社に移籍し、1926年、函館花柳界の委嘱により「函館音頭」を作詩しています。

 

1930年に小樽新聞社募集の「小樽小唄」に応募し、一等に当選。1931年5月にコロムビアレコードからレコード発売されます。1930年7月、「酒は涙か溜息か」「私この頃憂鬱よ」の2作を新進作曲家・古賀政男を指名してコロムビアレコードへ送り、1931年9月「酒は涙か溜息か」(A面 歌唱:藤山一郎)、「私この頃憂鬱よ」(B面 歌唱:淡谷のり子)が古賀政男の作曲でコロムビアレコードから発売され、全国で空前の大ヒットとなりました。1933年には函館日日新聞社を退社し、夫人とともに上京。作詩生活に入り、各レコード会社から作品を発表しています。

 

また直接や通信による作詞の指導を行ない、入門者は約2,000人に達し、その中から藤間哲郎、大高ひさを、石本美由紀、宮川哲夫、梅本たかし、東條寿三郎、山崎正など多数の作詩家を輩出しています。1947年には日本音楽著作家組合、1950年には日本民謡協会、1960年には日本詩人連盟を結成し、理事を歴任しています。1970年4月9日に死去。享年69歳でした。

 

 

 

◆作詞家・高橋掬太郎と作曲家・古関裕而の関係は? 

朝ドラ「エール」では木枯正人(野田洋次郎)から売れっ子作詞家・高梨一太郎(ノゾエ征爾)を紹介され、初対面で歌詞を渡されるというシーンがありました。また「船頭可愛や」がヒットしなかったというエピソードがありましたが実際はヒットしています。朝ドラ「エール」第10週は、かなり創作込みでドラマチックに描かれています。

 

売れっ子作詞家・高梨一太郎(ノゾエ征爾)

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画像引用元:https://www.nhk.or.jp/yell/story/week_10.html

 

作詞家・高橋掬太郎と作曲家・古関裕而がコンビを組んだのは、1934年5月に高橋掬太郎がコロムビアの専属作詩家になってからです。ちなみに木枯正人のモデルとなった作曲家の古賀政男はこの時すでにコロムビアからテイチクに移籍しています。

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画像引用元:https://www.nhk.or.jp/yell/story/week_10.html

 

ヒット曲が出なかった古関が「どこか取材旅行をしてヒット・ソングを作ろう」と高橋と相談、茨城県の水郷・潮来(いたこ)を旅行し、最初に作ったのは「利根の舟唄」で、古関裕而のコロムビアでの初のヒット曲となりました。1935年に再び作詞・高橋掬太郎と作曲・古関裕而がコンビを組んだ「船頭可愛や」(歌唱:音丸)が大ヒットし、古関裕而はコロムビア入社5年目にして責任を果たした形になりました。

つまり「船頭可愛や」は作詞家・高橋掬太郎と作曲家・古関裕而のコンビの2曲目なのです。古関裕而は高橋掬太郎とコンビを組むことで、ヒット曲、そして、大ヒット曲を連発し、一躍、人気作曲家の仲間入りを果たすことができました。

 

「利根の舟唄」

作詞:高橋掬太郎 作曲:古関裕而 歌唱:松平晃


利根の舟唄松平 晃

 

「船頭可愛や」

作詞:高橋掬太郎 作曲:古関裕而 歌唱:音丸


オリジナル sendo kawaiya otomaru 船頭可愛や 音丸 良音質 1935年

 

 

 

◆作詞家・高橋掬太郎の名曲は? 

作詞家・高橋掬太郎の名曲と言えば、藤山一郎が歌う「酒は涙か溜息か」とそのB面の淡谷のり子が歌う「私この頃憂鬱よ」が古賀政男の作曲でコロンビアレコードから発売されて、空前の大ヒットになりました。

 

「酒は涙か溜息か」
作詞:高橋掬太郎 作曲:古賀政男 歌唱:藤山一郎]


酒は涙か溜息か 藤山一郎

 

「私この頃憂鬱よ」
作詞:高橋掬太郎 作曲:古賀政男 歌唱:淡谷のり子


XAA311 私此頃憂鬱よ 淡谷のり子 (1931)1969 170224 vL HD

 

「ここに幸あり」
作詞:高橋掬太郎 作曲:飯田三郎 歌唱:大津美子


AEF563 ここに幸あり③ 大津美子 (1956)1972・151224 vL HD

 

 

【小ネタ】盆踊りのあの曲の作詞は高橋掬太郎!? 

盆踊りなどでかかる福岡県の民謡「炭坑節」ですが、一番有名な三橋美智也さんのバージョンの作詞したのは高橋掬太郎なんだそうです。「炭坑節」は全国に色々なバージョンがありますが、全国的にヒットした三橋美智也さんバージョンはミリオンセラーを記録していて、氷川きよしさんをはじめ様々な歌手にカバーされています。

 

三橋美智也「炭坑節」

作詞:高橋掬太郎 (福岡県民謡)


三橋美智也 炭坑節

 

 

【最後に…】

朝ドラ「エール」はモデルとなる人物はいますが、あくまでもフィクションの世界です。しかし、モデルになった人物の人生をたどることで、事実とは違う「ドラマを紡ぎ出す創作の工夫」を知ることができ、ドラマをより楽しむことができるのではないかと思います。

小説家の司馬遼太郎が膨大な取材を重ねたうえで、創作を織り交ぜてリアリティーのあるドラマチックな物語を紡いでいたように、朝ドラ「エール」もドラマチックな物語を描いて、より一層、楽しませて欲しいですね!

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