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【まとめ】①「 石橋貴明 の たいむとんねる 」 朝ドラ 「 エール 」の モデル 「曲を聴けば絶対知っている作曲家 古関裕而 」石橋が 古関 と会った時の印象とは?

 

 

  「石橋貴明のたいむとんねる」リスペクト・シリーズ第3弾が放送されました。

今回、番組で取り上げられたのはスポーツ関連の楽曲を数多く手掛けている作曲家の古関裕而さんでした。

 今回もこの番組でしか聴けない楽しい内容だったので、まとめていきたいと思います。

 

◆「石橋貴明のたいむとんねる」

2020年2月24日(23:00~23:40)放送

「曲を聴けば絶対知っている作曲家 古関裕而」

MC:石橋貴明

ゲスト:千秋 ビビる大木

進行:海老原優香アナウンサー

 

〇オープニング

 

ナレーション

「読売ジャイアンツの応援歌も、その宿命のライバルの応援歌も、はたまた、こんなライバル校同士の応援歌も。さらにはオリンピックの入場曲にいたるまで、実は全部同じ人が作っていた!その人の名は古関裕而!数々の名曲を今夜は生演奏でお聞き頂きます。さらにタカさんも驚きの1曲も!大好評『たいむとんねる』リスペクトシリーズ第3弾!『曲を聴けば 絶対知っている 作曲家 古関裕而』」

 

石橋「こんばんは石橋貴明です」

海老原アナ「フジテレビアナウンサー海老原優香です」

石橋「今夜の『たいむとんねる』は大好評のリスペクトシリーズです」

海老原アナ「今夜リスペクトするのはこの方。知る人ぞ知る作曲家 古関裕而さんです」

石橋「ということとで今回は古関先生をリスペクトしてやまない、千秋さん、ビビる大木さんにも来て頂いております」

海老原アナ「よろしくお願いします」

千秋&大木「よろしくお願いします」

大木「ずいぶん緊張感のある番組になりましたね」

千秋「こんな(阪神の)ユニフォーム着て来ちゃったんだけど大丈夫?」

大木「(ジャイアンツのユニフォームを着ており)アレ?ノリが違います??」

海老原アナ「(タカさんは)タキシードですからね」

大木「いつも、なんか砕けた感じで始まってたじゃないですか?」

 

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海老原アナ「大変申し訳ありません。私も勉強不足であまり古関さんを存じ上げないです」

石橋「知らないですか。昔、僕は2度ほど古関裕而先生と会ったことがあります」

大木「会ったことあるんですか!?」

石橋「『オールスター家族対抗歌合戦』それの審査員を古関先生がしてて。うちの母親のつたない歌を、だいたい肉親の歌なんかどうしようもないですよね。それを古関裕而先生は必ず1個良いところを見つけて持ちあげてくれる優しい先生でした」

千秋「やさしい!歴史上の人かと思った」

 

「オールスター家族対抗歌合戦」(1972~86)(テロップ)

芸能人とその家族による歌合戦番組。古関裕而が審査委員長として1984年まで出演

 

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画像引用元:福島市古関裕而記念館

 

海老原アナ「写真がございます!」

(一同、古関先生の写真を見て)

千秋「あー?」

石橋「大丈夫!ちゃんと曲を聴けば必ずわかりますから!」

大木「わかりますかね。ホントに?」

石橋「偉大な先生の作品の数々、是非とも今日はよろしくお願いします」

千秋&大木「よろしくお願いします」

石橋「まずはこの曲からスタートです」

 

すべてのスポーツファンに捧げる…(テロップ)

 

★「スポーツショー行進曲」(1949年 作曲:古関裕而)

NHKのスポーツ中継番組のオープニングテーマとして使用される放送のために作られた短いテーマを中心として1つの行進曲として完成させた。スポーツをイメージするマーチとして知られ学校の運動会などで演奏されることも

 

演奏:東海大学付属高輪台高等学校 吹奏楽部

 

大木「おー!」

石橋「みなさん、よくご存知の…」

大木「知ってます!知ってます!」

石橋「NHKスポーツ中継のこの曲」

大木「すごい!」

石橋「これをわざわざフジテレビで放送するという」

大木「そうですね。(吹奏楽部の)みなさんがいらっしゃってるのも驚きましたけど」

石橋「今回、古関裕而先生を取り上げるということで」

海老原アナ「特別仕様で」

千秋「聴いた途端に あ、超知ってるヤツ!って口ずさみました」

石橋「感動でしょ?」

千秋「ハイ!感動です」

石橋「古関裕而先生ですよ」

千秋「えーすごい!すごい!」

大木「先生、すごい人ですね」

 

 

 

◆天才作曲家の歴史(VTR)

「栄冠は君に輝く」(BGM)

 

ナレーション

「そう先生はすごいんです!1909年(明治42年)福島県福島市に生まれた古関裕而。音楽好きの父親の影響で幼少の頃から音楽に親しみ,10歳の頃には作曲を始めたと言います。高校を卒業後、一度は地元の銀行に就職した古関。しかし、1929年、二十歳の時、イギリスにある楽譜出版社主催の作曲コンテストに応募し二等賞を受賞!海外のプロ作曲家を差し置いて、日本の若い銀行員が受賞したことが話題となり、当時の新聞にも大々的に取り上げられました。翌1930年(昭和5年)には専属作曲家としてコロムビアと契約。

 

以降、映画『モスラ』を始め、ドラマや演劇、ミュージカルなどで数々のヒット曲を世に送り出してきました。手掛けた作品はおよそ5000曲。日本を代表する作曲家となりましたが、1989年、80歳でその生涯を閉じました。そんな古関先生の功績をたたえ、地元、福島には記念館。そして駅前には記念像が建てられ、今も人々の中で生き続けています」

 

〇スタジオ

石橋「改めてスゴさが…」

 大木「二十歳でコンクール?イギリスの?スゴいっすね」

 石橋「これだけじゃないですよ。みなさん。オリンピック目前に迫った、この曲を!」

大木「ええ!」

 

すべてのオリンピックファンに捧げる…(テロップ)

 

★「オリンピック・マーチ」(1964年 作曲:古関裕而)

 東京五輪 開会式 選手団の入場行進曲。スポーツ音楽や行進曲に定評がある古関に依頼。多くの軍歌を手掛けてきた古関は平和の祭典に関われたことに喜び作曲。五輪を成功させたい想いで精魂込め一世一代の作として5ヶ月かけ完成。94の国と地域が参加した閉会式で総勢565名の音楽隊により演奏。映像は夏季五輪初の衛星中継で放送。古関の名が世界に知れ渡り注目を集めた

 

石橋「どうです?」

大木「スゴイ!」

千秋「知ってた!」

石橋「嬉しいでしょ?」

千秋「うれしい!」

大木「先生の歴史がスゴイですね。オリンピックも!」

 

石橋「じゃあ早速、吹奏楽部の方にもお話聞きましょうか。今回はありがとうございます」

海老原アナ「大迫力の演奏を聴かせて下さってる方々は、東海大学付属高輪台高等学校 吹奏楽部の皆さん。そして、指揮の畠田貴生先生です」

 

★「ガラガラへびがやってくる」(1992) 作詞:秋元康 作曲:後藤次利

とんねるず初のオリコン1位を獲得。また初のミリオンセールスも達成

(東海大学付属高輪台高等学校 吹奏楽部の演奏あって~) 

石橋「かまくび!」

 

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石橋「東海大高輪台!あの、さまぁ~ずの母校!」

畠田「そうなんです」

石橋「右に曲がると高輪プリンス、左に曲がると東海大高輪台。ココ(分岐)が消防署で。スゴイ古い消防車があるんですよね。あの上まで行くと昔は火の見櫓から東京湾が見えたという」

千秋「詳しい!」

 

 

ナレーション

「東海大学付属高輪台高等学校吹奏楽部は『全日本吹奏楽コンクール高等学校の部』で3年連続の金賞受賞を受賞するなど、その実力は全国でもトップクラス!今回は部員およそ150名のうち、2年生38名に協力して頂いています」

 

石橋「素晴らしい!」

海老原アナ「そして、畠田先生がなんと、タカさんの大ファンなんですよね?」

畠田「そうなんです。もう…」

石橋「先生おいくつ?」

畠田「僕、48歳です」

石橋「ちょうど10個下ですから『夕焼けニャンニャン』やってる時が中学生なんです。おニャン子クラブ誰が?」

畠田「僕はですね。国生さゆりさん」

石橋「バレンタインデー・キッス~♪」(振り付きで)

畠田「とんねるずのコンサートも千葉県文化会館の回はほとんど行ってます。東京ドームにも行きました」

石橋「ビッグエッグ!嬉しい~」

海老原アナ「ホントに大ファン!」

畠田「生き方すべて憧れてました」

石橋「アラ!」

海老原アナ「どうですか今日は?」

畠田「この話が来た時に、本当は学校長の許可を取らなきゃいけないんですけど、その前に僕が引き受けますと言ってしまったので」

石橋「今、一番 汗かいてますよ。みんなポカーンとしてますけどね。(生徒に)おじさんね、、昔人気あったんだよ。先生が中学生の時、スゲー人気あったの!

海老原アナ「このあとも演奏、よろしくお願いします」

 

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※まとめ②に続く。 

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